2006年11月28日

少し遅くなりましたが…。19日。ダンス トリエンナーレ TOKYO 2006『生のものと火を通したもの/闇の碧』の本番。昼過ぎに会場の青山スパイラルホールに入る。舞台転換後にさっそくサウンドチェック。低域を奏でた瞬間に手ごたえがあった。身体に触れる音の質感。昨夜は朝まで音を磨いてよかった。重信さんも、昨日のマシモ・モリコーネのリハーサルで、大幅にチューニングを変えてくれた。同じ会場でも環境が少しでも変わったら音も変わる。初心忘るるべからずで取り組まなくてはいけない。しかし、音を奏でるたびに心が躍る。最高の音が奏でられそうだ。

本番前にゲネプロ。Macも冷却ファンで調子が良さそうだ。美加理さんのシルエットが浮かぶ。磨き上げた青銅の音色で空間と時間を操る。美加理さんが消えては現れ、現れては消える。中間部分のフィールドレコーディング作品は、昨日よりも、もっとひそやかにそこに在るがごとく奏でる。列車が通り過ぎる音は低域を抽出したので、リアルに目の前を通り過ぎるのを実感できた。そして、残響を切り刻みリズム(?)を奏でる。美加理さんがエナジーを感じさせて欲しいと言った。強引に奏でる。しっかり身体で音を感じているようだ。後半。朝まで磨いた低域は、まず壁を揺らし、次に天井を震わす。そして、最後に床がずれる感覚を生み重力を奪う。美加理さんに届いただろうか。きっと届いただろう。最後の最後は少し音を編集する必要がある。パフォーマンスと照明との競演です。本番までに間に合わさなくてはいけない。ゲネ後に舞台上で、美加理さんとああだこうだと話して頭の中を整理する。プロデューサーの小野さんが笑顔で「音さらに良くなりましたね」と言ってくれる。本番はさらに上を目指したいと思う。

何とか音を編集して、本番を迎えることができた。重信さんとさとうじゅんこ、そして、森山開次さんの『KATANA』でもお手伝いしていただいた、Fourth Floorの宮坂さんとアイコンタクト。いよいよ本番。会場の空気を読んで、私の音から美加理さん、スタッフにスタートの合図。私も美加理さんも集中してあっという間に終演。本番はこれまでで一番、美加理さんを身近に感じられた。音は回を重ねるごとに良くなってきた。もうこれで終わりなのかと思う。

今回は小野さんの「新しい種子田郷をみせてほしい」という言葉と、美加理さんとの競演、そして、CD『sketch 2006』を発表できていたので、新しいことにチャレンジできました。この機会に感謝いたします。公演後に、舞踊評論家の石井達朗さんが「これまでの音が好きだが、美加理さんとの作品にはこれがいいのだろう」と…、いままでの私を知っている人には賛否両論ありましたが、大いに成果があったと感じています。今後もどんどん違う一面を魅せていきたいと思います。

美加理さんとは戦いながら(美加理さんは「喧嘩」しながらと言っていたが…喧嘩できるのは幸せなことだとも言っていた)作品をつくりましたがとても楽しかったです。今後、さらに進化していく可能性を大いに秘めています。小野さんは来年の7月頃に単独公演はどうだろうかと話してくれました。衣装の高橋さんや、照明の片田さんなどとも、もう次の話しをしていた。私もまだまだやりたいことがあります。

今回は重信芳光さんのプラニングで、Taguchiにご協力いただき、メインスピーカーにTaguchiのCMX1312(ラインアレイの13?ユニット×12発)を4本、メインウーファーに46?ユニットを2本+38?ユニットを2本、ひな壇の階段下にサブウーファーの38?×2発を2本、アンビエントに、ユニットを上に向け、UFOを反対にした反射版がついた五重の塔を2本プラニングしていただきました。9月の森山開次さんとの『KATANA』以上の音場をつくれたと実感できた。また、さとうじゅんこにヴォイスで参加していただきましたが、本作品ではヴォイスというよりは歌でした。これも挑戦でしたが、前半の青銅の空間をより深いものにしてくれました。感謝します。今回は間に合いませんでしたが、次回、単独公演では4chマルチトラックで音を奏でたいと思います。次があるのはほんとうに嬉しい。

本公演には、デザイナーの三浦秀彦さん、映像作家の甲斐さやかさん、森山開次さんの『KATANA』でご一緒した、衣装デザイナーの梅谷麻耶さん、衣装デザイナーの川口知美さん、ダンサーの能美健志さん、TOWER RECORDSの池田さん、ジャワ舞踊家の久保田広美さん、原宿教会のライブイベントでお手伝いいただいた平井さん、振付家の香瑠鼓さん、映画監督の三宅流さん、オフィスルゥの小杉さんなどなどたくさんの知人が観に来てくれました。励みになります。今回、体感できなかった方は、来年の7月まで待っていてください。今後、詳細等が決まりましたら、ご報告させていただきます。ご期待ください。また、エントランスでCD『sketch 2006』も販売させていただきましたが、お求めいただきありがとうございました。

公演後に、映画監督の三宅流さんから感想が届きました。承諾を得ましたので、ここに掲載させていただきます。
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美加里×種子田郷の公演は、全体として、良いものだったと思います。美加里さんを生で見るのは初めてでしたが、限定された、最小限度のモチーフと所作のみで構成された上質の芸能、という印象でした。パフォーマーとして、踊ることに自足せず、見せる、ということに意識の強い方だという印象を持ちました。そういう意味で映像的な感性をお持ちなのかもしれません。所作のいくつかには能のものが反映されていたようにもの思えます。最後までダンスしなかったのが良かったです。ただ、視覚効果として一つのポジションから、暗転の間にもう一つのポジションに移り、照明がついてポーズをとるのは、ヴィジュアル的な演出としての意図は理解できるのですが、どうしても暗闇の中で次のポジションにとるための移動をしている、というのを気配で感じてしまうので、暗闇の中での移動にもう少し意味を持たしたほうが隙がなかったのではないかと思います。これまでの美加里ファンがどんな感想を持ったかわかりませんが、初めて見た私は何作か見てみたい、という気になりました。

種子田さんの音は良かったと思います。以前よりも、素材と素材のせめぎ合いに心血を注がれているような印象を受けました。以前は素材そのもに対するこだわりの方が目立ちましたが、今回は素材と素材のあいだ、差異に向けられた集中力が尋常ではなく、ある種の凄みさえあったように思えます。それは平たく言えば「構成」ということになるのかもしれませんが、「構成」が内在する多様な「あいだ」が豊穣なポリフォニーを生み出し、「構成」自体がそうしたポリフォニーを内在する「素材」すなわち作品、へと転化されていく…そんな印象です。今までよりも豊穣な感じがしました。種子田さんは大きな転換期をむかえられている、という印象を持ちました。

種子田さんの仕事は「音の形而上学」と言えるかもしれません(このあたりのことはまた機会があれば書きます)。

全体的に、作品の存在感は強く感じることができました。ただ、存在感にとどまってしまわない、その先にあるもの、それは作品としてのより具体的な世界像、そうしたものが十分には見えませんでした。それは必要ないことなのかもしれません。ただ、例えばほんのわずかに発話されたテキストがそうした世界像へのキーになることを予感させておきながら、それと具体的に舞台上で行われるパフォーマンスが十分な相互作用を発生させているようには感じられませんでした。

それ自体が何か不足なことなのか、十分なことなのか、必要なことなのか、いらないことなのかはわかりませんでした。全体的には音も、身体も、素材自体がもつ魅力をシンプルに味わうことができた、という感想です。

CD買いました。いい感じです。今まで聞いたことのあるような素材ばかりでしたが、シンプルに構成され、あれを聞けば種子田さんが何をやろうとしてるのかは誰でもわかるかと思います。機会があればいろんな人に聞かせてみようかな、と思っています。

取りあえず、お疲れ様です。舞台に出てこられた時、種子田さんが今までとは違う異様な雰囲気で、ほとんど暗黒舞踏の舞踏家か、と思えました。集中しすぎて精魂尽き果てたのか、作品の出来に納得がいかないのか、どっちかな?と思ってましたが、メールを見る限りでは前者だったようですね。いい時間を過ごさせて頂き、ありがとうございました。
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三宅さんありがとうございました。皆さんからの感想もお待ちしております。こちらによろしくお願いいたします。楽しみにしています。


at 23:59│コメント(0)トラックバック(0)go taneda │

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